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学芸 平成20年12月/第106号 

●巻頭言1●

理事長教育発展の夢の現実は、授業実践の引き継ぎから




理事長 須 山 弘 一 


東京学芸大学学生歌『若草もゆる』アカペラ ト長調

 平成二十年十月八日、日本人にとって喜ばしいニュースが入ってきた。今年度のノーベル物理学賞に日本人三名が選ばれたのである。南部陽一郎(米国籍)、 小林誠、益川敏英の三氏である。さらに、翌日、ノーベル化学賞に下村脩氏が決定した。前代未聞の快挙である。

 受賞者四氏の後進へのメッセージをまとめると、「自分の教養を広げて、本当に興味関心のあることを突き詰めること。他人が意図的に作った本や映像などに頼らず、 自分でじっくり観て、納得するまで考え・調べ・確かめれば、いつかきっと自分が納得できる新しい何かが見えてくる。」と受け止められる。 南部陽一郎氏は、若い頃、アインシュタインを相手に、確立論で説く量子力学について「神様はサイコロを振らない」と三十分も食い下がったという。 物理学賞の歴史を見ると湯川秀樹氏・朝永振一郎氏・江崎玲於奈氏・小柴昌俊氏と「知の伝統の引き継ぎ」がなされてきているのである。
 私達、教育に携わる者として、このノーベル賞受賞者の生き様に学ぶところが大きいと考える。
 文科省並びに教育委員会の条件整備が進み、主幹教諭・指導教諭の設置、今年の春の新しい学習指導要領の告示により、各学校は、 今が「新しい教育の扉を開く力を示す時期」という一番厳しい時期を迎えているのである。

 だから、私達は「新しい時代の教育をデザインする力」を持つ教員を多く育てることに集中しなければならない。
 まず、若手の教員には、研修意欲の旺盛さは認められるが、書店に並ぶマニュアル本を読みあさり、そこに書かれている指導展開・教材・ 指導方法等をそのまま受け止めて、自分が指導すべき子どもたちに押し付けている者が居ないだろうか。 その結果として授業が上手く展開せず悩んでしまうのではないだろうか。若手の教員には、もっと目の前の子どもの願い・性格・ 実態を深く把握・理解し、その子どもたちに適した授業をデザインする研究・努力をして欲しい。
 次に、中堅の教員には、無難に過ぎた指導方法のみ静かに毎年繰り返して、願わくは安穏とした教師生活を送りたいと考えている者が居ないだろうか。 子どもも保護者も、社会もどんどん変化している。その変化に応じられる新しい教育の方策・戦略を創り出す努力をして欲しい。 自らを一層高めることで教師としての生き甲斐を確信してほしい。
 最後に、学校管理職には、本当に興味関心のあることを突き詰めること。そして、幅広い教養を身に付け、学校関係者を大きく包み込むこと。 五年、十年先の世の中を見据えて、子ども・地域の成長・充実・発展のために関係諸機関をねばり強く説得するアイディアと経営力を持ち続けて欲しい。

 同窓生の皆さん、私達は今後も教育への情熱を持って、授業実践「心と知と技の伝統」を引き継いで参りましょう。




「惻隠の心」の再評価を
副理事長 佐治 恒孝

 バブルがはじけて十数年が経ち、勝ち組、負け組がはっきりして、昨今はこれまで想像出来なかった事象が頻発のおり、加えて経済金融恐慌の最中に置かれています。 そんな中で人々の多くはITによるマネーゲームにうつつを抜かし、その結果、社会全体に荒廃現象が随所に現れてきています。
 また、教育現場から若者を見ると、社会生活を送る上で必要な基本的知識が十分に身に付いていなかったり、社会から求められる倫理観が希薄であったり、 あるいは人間関係がうまく構築できない等の問題が顕在化しています。 これらの課題に対して、教育界全体としての早急な対策が必要と誰もが認識していることと思います。
 今こそ解決に向けて、古典に学ぶときと思います。今迄に教育から死語ともなった孔子や武士道精神にある、「惻隠の心」を再評価すべきと考えます。

 惻隠とは、「痛む」という意味で、相手の痛みをわが痛みと受け止めることです。「とても他人事とは思えない何とかしてやろう」を「武士は相身互い」と武士道でいい 「思いやりの心」こそが武士道精神の真髄とも言われています。今まで別個だと思っていたものの間に通じる心、これを「一体感」といい、孔子は「仁」といい、 我々教育界に携わるものには、「惻隠の心」を如何に教育を通じて次代を担う子供たちに醸成するかが欠けていたと考えます。
 人は誰でも自己実現を願って、より良くなりたいと生きているのが通常です。しかし、人は他人よりも自分自身をまず大切にしたいとの欲が有るのが普通だと認めたうえで、 一方では己と同様に自分自身を大切に思う他人が周囲には、大勢いることを認めることにより、自分が大切なら他人へ心づかいの「惻隠の心」 を芽生えさせ共存共栄の発想が生まれてくるのだと思います。

 しかし、現実には多くの場合、自分自身の生活やポジションに固執し自己保身、自己防衛に終わっているのではないでしょうか。 自らをよりよくするには、他人の支えや協力が必要なのです。その道を、自分自身の偏った考えや行いで閉ざしていてはいけません。
 医者は患者から問診・触診・X線撮影等の情報を得ないで、適切な診断は出来ないはずです。本同窓会は都内の小中高等各校種毎の大学別教員数を見ると学芸大出身が一番多い現状で情報交換や研修の場だけでなく、 旧交を暖め、元気を得る場として、多方面に利用・活動できます。是非「惻隠の心」の再評価を。

参考 新渡戸稲造「武士道」




「若草もゆる」に勇気もらい
副理事長 足立 善朗

 平成十九年度より、現在の五名の副理事長で六十一の支部担当を分担し、支部からの総会や新年会のご案内に必ずお伺いすることや夏季の第二回支部長会の実施など、 支部と本部の連携強化に努めてまいりました。
 現在、中堅、若手教員の一日も早い教師力アップ―教師としての人間的、職能的成長が求められています。私がお伺いした支部では、支部組織に若々しい青年部を立ち上げ、 研修会や親睦会を計画して、若い教員が気軽に参加できるように工夫していました。支部の会合は管理職だけのものではありません。 年齢やキャリアを越えた仲間が絆を支えに仕事にファイトを燃やすことは、何よりも望ましいことです。
 またある支部では、支部総会用の冊子をわざわざ事前に手元に送っていただきました。伺うと、何年ぶりかの支部総会ということで、 細かな配慮と支部長先生を中心とした再出発の熱い意欲に感激いたしました。
 支部と本部がしっかりと連携して、組織の活動や個人の取り組みがさらに活性化されるよう、副理事長は、太いパイプ役として確かな責任を果たすべく努めてまいります。

 支部と本部が連携して目的を達成したものがあります。
 夏季休業中に行われた「若い教員の指導力向上を図る実技研修会」がそれです。理科と体育の実技研修会でしたが、これには本部組織部に四つの支部 (渋谷、杉並、町田、府中)が共催の形で会員に働きかけをしてくれました。おかげで多数の参加者を得ることができました。 今後とも、各支部のご協力をいただければと思います。よろしくお願いいたします。合わせて、会計部担当の副理事長として、 うれしいことに会費納入について、微増の支部もあります。各支部長先生、担当の先生方、会費納入についてのお骨折り、ほんとうにありがとうございます。

 ところで、学芸大学のキャンパスに行く度に驚くのが、構内にある欅や桜、松などの樹木の黙して堂々としてゆるぎない成長です。 構内の樹木一本一本も、私たちと同じように同窓として同じ時を刻んできたのだと感慨をもちます。誇りにも思います。
 日々の職務には、難題が次々とやってきます。そういう時も同窓の会合の際にみんなで声を張り上げて「若草もゆる武蔵野の」と歌う時、 若き日の追憶と同時に明日を乗り切る勇気が湧いてきます。これからも同窓の絆を胸に「っとっとかま」で日々、「研修一路」、 お互いがんばりましょう。





発刊に寄せて
 『學藝』第百号 発刊記念誌への願い
第十五代理事長 須山 弘一

『學藝』第百刊を記念して記念誌を発行しようという気運が高まったのは、今から一年程前のことでした。「間もなく社団法人東京学芸大学同窓会の会報 『學藝』発刊が百号となる。そこで、第百号発刊を記念して記念誌を発行しようではないか。」ということになりました。私達は、 記念誌が先輩諸氏にとっては教職に対して使命感と情熱を燃やし続けていた頃の懐かしい思い出の一冊となり、現場職員にとっては先輩諸氏の偉業を知る一冊となり、 東京学芸大学同窓生だけでなく広く教育に携わる者にとっての大いなる指針、指標となるであろうと考えました。

 私達は、時代を追って総会時の記念講演の講演主旨を収録して掲載しようと致しました。ところが、第一に欲しい『學藝』の創刊号と第二号が無かったのです。 当時の吉野尚也理事長は先輩諸氏ときめ細かく連絡を取り、先輩諸氏の深い理解とご協力により、めでたく貴重な二巻を揃えることができました。 ここにも、私達は教育の向上、充実発展を悲願とする教師の心意気を、有り難さを痛感させられたのであります。
 いよいよ、編集が始まりました。当初は、全体で八十ページ程度の普通装丁で計画を進めていましたが、創刊号・第二号が揃いましたので、 東京学芸大学初代学長木下一雄先生の巻頭言、書道科教授田邊萬平先生の字解、そして、 久保田伍郎東京学芸大学同窓会第二代理事長先生の随筆も掲載させて頂くことに致しました。結果として当初の二倍程の充実した内容となりました。

 久保田伍郎第二代理事長の随筆をみますと、『學藝』は研究集録として捉えていたことが分かります。 すなわち、同窓会は単に会員相互の向上と親睦を図るだけでなく、「良心的研究活動」でなければならないと述べられております。 私達は子どもたちが教師に対して絶対の信頼と尊敬を持っていることを認識し、理論を基礎として実際の研究を、 実際を基礎としての理論の研究を、そして、そこから生まれる教育技術の研究を行わなければならない、しかも、 そのことが常に子どもたちの心の糧となるような「良心的研究活動」でなければならないということであります。

 教師は、教えるために学び、範を垂れるために行動する。私達は『學藝』第百号発刊記念誌を編集しながら、 改めて先輩諸氏の優れた教師としての哲学と輝く大きな足跡に感服致しました。
私達は、一人でも多くの教師の方々が、この記念誌から学び、子どもたち・保護者・地域住民から確かな信頼と尊敬を得られる教師であるよう研鑽努力されることを願ってやみません。
(平成二十年五月)




『研究集録発行に当たり』より
第二代理事長 久保田 伍郎

(略)

 学芸大学同窓会教育研究会は発足して二カ年になる。此の間の活動の実体を十分に把握していない無責任は謝るが「非協力的」「非民主的」「無魅力」 の言葉の中から今日的研究集録が生まれることは、其の間の苦労に対して敬意を表するのである。
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 研究会が発足するに当たり、研究によって同窓会員相互の向上と親睦を計ることを目的としていたが、私はそれに良心的活動を要望した。
 即ち児童生徒は教師に対して絶対の信頼と尊敬を持っていることを認識し、理論を基礎として実際、実際を基礎としての理論の研究、 此処から生れる教育技術の研究、これが常に児童生徒の心の糧となる良心的研究活動でなければならぬ。
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 研究発表には二つの方法がある。一つは活字による発表形式と、他は口頭による発表形式である。目的は自己の研究の批判指導を仰ぐものと、 指導的立場になって発表するものとがある。発表を受取る者の立場からみると、一字一句、一言半句吟味して其の精神の把握に努力傾聴する者と、 大略を把握する経済的な聞き方見方をする者と聞き流し読み捨てる者、甚しい者には聞きも見もしない者のいることを知らねばならぬ。
 折角の発表が聞き流されて積読=すぐに捨てる=されるので発表者に対して気の毒ではあるが、結果は研究者の敗けである。
 如何にして聞かせ、如何にして読ませるかの技術が必要である。此の点本誌が如何に工夫されているかである。若き者の処女発表である。 よく聞いてやるよく読んでやる親心が欲しい。
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(略)
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 現場に直ちに利用出来ない学術的研究よりも、現場に即した今日の糧になる研究が、児童生徒に対する親心である。教師らしい研究であって欲しい。 学者らしい研究は専門家に頼みたい。独善的な独りよがりの研究では伸展性が乏しい。
 本誌の研究が此の線に添うていることを祈ると共に、今後一層の努力を念願する。

(略)


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