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学芸 平成14年7月/第87号 

目次
巻頭言
講演
同窓会の今後のあり方
・本部だより
 総務部
 会計部
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 調査部
 広報部
 組織部
 スイッチオン
事業報告
事業計画
収支予算書
役員等一覧
総会にて、編集後記
 
講演●

講演会〈平成14年6月1日 於東京学芸大学〉
地球時代の学びを創る教師の役割

講師 目白大学経営学部教授 多田 孝志先生 
多田孝志 先程、東門から歩きながら、自分の大学時代を思い出しておりました。当時、私は柔道部に所属しておりまして、道場がプール門の脇にありました。木の古い道場でありまして冬になると先輩たち、今は都立高校あるいは小中の校長をやっている先輩たちが、その木を引っぱがして燃やして暖をとったというような思い出があります。あれから三十年近く自分は何をやってきたのだろうというようなことを考えながらここにやってまいりました。

教師が変わらなければならない

 私は、自分の体験から、教育界は第三の教育改革などという言葉ではとうてい規制できないほどの、まさに地殻変動に近い改革の時期を迎えたことは間違いないと思います。その中で申し上げたいことは、私は小学校、中学校、高校、短大、大学で教鞭を執ってきました。主として小学校で20年近く教員をや ってきました。しかも、公立私立で教え、海外で6年教えてきました。こういう体験から言って、教師の役割というものがこの新しい教育改革の中でまさに大きく変わろうとしているということを実感せざるをえないわけです。ではいったい、どんな力を持つ教師がこれから必要なのか。まず結論的に申し上げますと、第一に学習プロセス、学習を作る教師というのがこれからは必要な時代になってくるだろうと思います。二つ目に学習のスキル、ただ単にやりなさいということではなくて、どのようにしたらできるかという学びの手立てを子ども達に、小中高大学を含めて示すことのできる教師。三つ目に子どもに位置を教えてあげられる教師。今自分がどういう場所にいるかということを教えられる教師。それから仲間とともに作り上げていく競争心、ともに作る力を持った教師、さらに自分自身が学び続けることのできる教師。もう一つ付け加えるとしたら、いわゆる教職としての使命感をきちんと持った教師。こういう教師像がこれから求められるだろうと思っております。このことをふまえて、三つ。その一つはなぜ今申しあげたような教師の役割が変わっていかなければならないのかということ。二つ目にはこれから地球時代ということがよく言われますが、そういう時代の学びというのはどういうものであって、どういう考えで進めていくべきかということを具体的に申し上げたい。三つ目には、こうした時代の教師というのはどういう力を持たねばならないかをさらにくわしく申し上げたい。この三つで私の話をまとめたいと思っております。
 第一点目の、なぜ教師が変わっていかなければいけないかということについてですが、私の専門とするのは、実は国際理解の教育ということであります。その中の言語表現というのが専門です。そういう立場から考えると、我が日本に起きた悲惨な出来事、1945年の原爆というのは人類にとっても非常に大きな出来事でありました。あの核爆発というものはまぎれもなく人類が運命共同体の一員であるということを自覚せざるをえないわけです。その後それにも関わらず、いったい何回くらいの核実験が行われていたとお考えでしょうか。実に3000回近くの核実験が行われ、今も続いています。さらに、他にも共同体の一員ということを自覚させる出来事がありました。それは、いわゆるスプートニクショックであり、月に人間が行ったということですね。私たちはよく空を見上げて、果てしない大空と言いますが、実は人間が生きていく空間というのは、地球の外側のごく薄い膜にしかすぎないわけです。その中で、56、7億の人類、多様な人々が生きていく時代が来たということです。こういう現実に向かって私たちは、教育をどうするかということが問われているわけです。 聴衆
 学びという視点からみて、集約すると二つに絞られると思います。制度ということでなくて学びということです。一つは修養としての学びです。つまり自分の内側と対話しながら自分を高めていくという学びのありかた、それは具体的にいうと読書をしたり、瞑想をしたりすることによって自分を高めていく教育のありかた、もう一つがソクラテスの問答法、産婆法などということが言われておりますが対話としての学びです。人と関わり合って話し合うこと、お互いに啓発しあうことによってある事象について考えを深めていったり、自分自身について深めていく。つまり教育の流れを学びの視点から見た時に、修養としての学びと対話としての学びの流れがある。私たちの教育、現代の教育は果たしてこの二つの学びをバランスよく取り入れているかということを思います。

グローバル時代における新たな教育への要請

 さらに、新たな教育への要請、つまり新しいグローバル時代が来たということはよく言われることですが、人、物、お金、情報、さまざまなものが行きかう時代が来たということはどんな問題を我々の前に提示しているのでしょうか。私は非常に広い範囲の中から具体的なものを俯瞰した時に三つのことが問題だと思っております。一つは学習内容です。つまり、このグローバリゼーションというものが提示した課題に、私たちの教育が対応しているのか。おそらく私は対応していないと思います。それは学習指導要領を読み返しても教科書を吟味しても、そのことが言えると思います。部分的に調べられていても、大きなくくりでそれをきちんと受けとめた教育のありようがあるとは思えない。そのことを三点から申し上げたいと思います。その一点は学習内容です。たとえば人間の安全保障の問題、それから多様との共生をどうするかという問題、よく言うグローバリゼーションの問題、さらに情報化時代の対応という問題が学びの中に学習内容としてきちんと取り込まれているかどうか、私は高校の情報化の本を八冊読みました。高校の情報化の教科書で非常に優れたものの中には今申し上げたようなことが入っていますが、実は教科教育の中で、総合的学習の中でこういうものが本当の意味で入っているか。私は入っているとは思えないのです。教科書の分析、学習指導要領の分析をしてみてそう思うわけです。二つ目は学習目的に関することです。多文化共生の時代に対応した資質能力、態度とはいったい何なのか、いろんな考えを持った人たちが混じりあって生きるという時代に必要な能力とは何なのかということが吟味されて、それが具体的に学習活動の場で行われているか。これについても真似事としての国際理解、体験活動はあると思うが、しかし、地球時代の人間形成とは何かです。子どもたちが、いろんな国のいろんな文化を持つ人達とぶつかり合いながら、何かを作っていく力をどうしてつけるかといった論議と実践がまだ不十分だというふうに思うわけです。三つ目はごく身近な問題だと思うのですが、総合的学習の登場です。これは、我が国の教育において大変な出来事だと思うのですね。この部分については、あなたたちがやりなさいと、まるごと任すことなのです。これに我々実践家が応える力があるでしょうか。あるいは応えているでしょうか。私は総合的な学習が出てきたということはこれからの教師の専門性が問われていることであり、つまり我々教師が何をするべきかという点では、学習デザイン力を私たちが本当に持っているのかを問われているということだと思うのです。 多田孝志 さまざまな資料、人材をうまく活用して、学習を作り上げる力を本来教師は持たなければいけない。その力が本当にあるのでしょうか。私はたまたま機会があってシドニーに行き、シドニー大学の先生と話したり、向こうの教育委員会に呼ばれましたので各州を回らせていただいたり、カナダのアルパータの州立大学から呼ばれて行ったり、去年の3月にはニューヨークに行って20人の日本の高校の教員を連れて行って、向こうで授業をやらせたりしました。そうしたときに日本の教員の授業はほとんど通じませんでした。英語ができる、できないではないのです。アメリカの教員のやり方がすべていいとは思いませんが、子どもをひきつける力、子どもにやらせる力が日本の教員にはない。小学校レベルでは小学校の先生はかなりいいと思うんですが、少なくとも中高レベルで本当にアメリカの先生方がご苦労なさってティーチングプランを作り、学習プロセスを作って、例えば15時間なら15時間の単元を作り上げていく力に比して、我が日本の高等学校の先生はほとんど立ち往生でした。この現実を見た時に、やはり私は先生方がもっと自分の単元を作り、授業を作る力というものを持たなければならない。プランナーとしての自分を自覚していかなければいけないと思います。

共生のための教育
  「学習・・秘められた宝」

 こうした私の考えている教育改革のある種のまとめが共生のための教育、つまり「学習 ・・秘められた宝」という本にまとめられたドロール委員会報告書です。これはまさに先見性のある提言だと思います。これはどういうのかと言うと、私が所属しております国際理解教育学会の会長を長くしておられた、文部次官をなさった天城勲先生が日本の代表として参加され、アジア州、ヨーロッパ州、各州からお一人ないしお二人の教育専門家が参加して、これからの世界の教育をどうするのかという話をしました。出てきたのが「ラーニングトゥノウ」の教育。「トゥドゥ」、何を人はなすべきかという教育、「ラーニングトゥビー」、人間であるための教育、我が国で言えば倫理教育とか道徳教育にあたるのでしょう。そして共に生きる教育こそがもっとも大事なのだ、共生時代の教育こそもっとも大事なのだというのがドロール委員会の最終的なまとめです。将来の我が国の教育のみならず世界の教育がそれを目指すべきなのです。天城先生は「多田君、これからは実践が大事なんだよ。」とおっしゃってくださいました。それはどういうことか、あのEUを作ったドロールは、その最初にこういう寓話を書いております。フランスのこばなし、民話ですが、ある農家の大金持ちの父親が、放蕩息子に、「俺の畑のある一箇所に大変なお金、宝を埋めた。その宝をお前が掘り出したらお前にやるよ。」と言って亡くなった。想像がつくと思いますが、子どもはお父さんの死後、必死になって鍬をふるい、畑を耕した。そうすると次の年、宝は見つからなかったけど芽吹いてきたという。つまり、こういう話をもとにこの21世紀教育国際委員会報告書は「学習 ・・秘められた宝」という題をつけられた。つまりこの教育委員会の報告書は我々実践家に大いなる勇気と使命感を与えています。これからの教育は理念ではないのだと、学習をどうするかということが未来を創っていくのだということを言ったことが、この報告書の価値のあるところだと思うのです。私たち教員が変わらなければならないという一つ目のことを歴史的事実の中からみてまいりました。二つ目の話に入る前に、目指すべき人間像とはどういう人を私がイメージしているかということを話したいと思います。
多田孝志 私の友人にこんな人がいます。彼はワールドカップの招致委員で広島在住、まだ若いです。彼がやったもうひとつの世界的な仕事は、ユネスコの世界遺産に広島の原爆ドームを登録させたことです。安芸に宮島はあっという間に通ったのですが、原爆ドームはメキシコの会議の時に通りませんでした。世界の中で強行に反対した国はアメリカと中国ですね。中国は第二次世界大戦中の負の遺産というのであるならば、南京大虐殺はどうしてくれるのだという話になるのです。大国が「ノー」です。あの種の会議では全会一致以外はダメなのです。「ノー」の大合唱の中で最年少の彼はどうやって「イエス」を導き出したでし ょうか。皆さんだったらどうされますか?彼は日ごろの信念である三つを実践したと言っています。一つはフェアーであること。二つ目は考える力、三つ目は行動力である。まあ、あたりまえと言えばあたりまえですが。まず、自分がフェアーな人間だということを証明した。つまり自分の国のことだけを言ってない で世界の遺産について学び、外務省からいろんな資料を取り寄せて学び、わずか五日間位の会期のなかで、例えばあなたの国のストーンヘッジはすばらしいねとイギリス代表に、マチュピチュ遺跡はとペルーの代表に語りかける。このような努力の果てに若いけれども彼はフェアーな人間だと認められ、さらに彼はアメリカや中国の代表達とも話し合って、俺はこの企画を何とか通したいのだと語った。中国やアメリカの代表達も意味はわかるのだけど、自分の国の国民感情がすぐに出てくる。では、何とか第三の解決策をお互いに考えようという、共に作る人間同士としてのフェアーな信頼関係を作っていく。さらに、考えたわけです。「ノー」の中での「イエス」。第三の視点、イエスかノーではなく真ん中がないか。考えた結論はこうです。非常にうまいです。つまり日本が提案し各国は賛成する。中国とアメリカは黙っている。そして最終的に中国とアメリカは事がなったあとに我が国はそのことには賛意を示さなかったということを明記する。このことを第三国の自分の友人を介して中国、アメリカの人達と交渉した。こうしてマスメディアの対策、その他いろいろあるのですが、結果的にあの原爆ドームはユネスコの遺産になったのです。さらに彼は人を説得する時に自分の母親が体の三分の一位ケロイドだということ、自分を産む時に女性としてものすごく悩んだこと、しかし子どもが欲しいということで産んだ。そのような母親の苦しみを世界の女性に持たせたくないのだということを伝えた。この彼の伝える力、交渉力、危機にあたって何かをする力、これはこれからの時代に必要な力だと思います。これからの時代に必要な資質を簡単に言いますと、一つ目に個人の相違した潜在的なキャパビリティをどう伸ばすかということです。個人的な力。私は個人の力の伸長をすることなくして教育の意味はないと思っている人間です。二つ目が、多様な人と創造的な関係性を築いていく力です。もっと簡単に言うと、ま わりの人と仲良くして共に幸せを共有できる力です。先ほどの友人の例は共にいい仲間になって新しい何かを創造していった力です。こういう力をどう作るかということです。三つ目には、変化への対応力です。ものごとがいろいろ動いたときに、臨機応変的に対応する力がこれから重要だと思っております。

生身の人間としてぶつかり合う
  現実を見据えた人間づくり

 私はこれからの教育というのが、学校の中で通じるスピーチとか、学校の中である仲良しクラブではなくて、将来的にこういう子達と生身の人間としてぶつかり合う現実を見据えた人間創りというのが必要だと思います。そういう力をつけるために必要なものの一つがスキルです。どういうようなスピーチの手立てをしたら子ども達がしゃべるようになるか。対話をさせるのはどうしたらいいのか。実はこれは大変なことです。今の大学生はトピックが作れないのです。課題が作れないですよ。例えば自分が今言いたいことを選びなさいと言ってもできないのです。やむなく通学途中であったこととか、アルバイト先でのこととか言うとどうにか考えられる。それでもアルバイト先のことで何を言いたいかというとわからない。そこで私が一対一で、一人3分から5分面談して話すと、やっとイメージを作ることができる。ある種の手立てをもって作っていかなければならないコミュニケーションのスキル、情報活用のスキル、いろんな場面に出会った時に逆境になった時に自分を啓発するためのスキル。そういう学びのスキルということが、もっと見直される必要があると申し上げたい。
 二つ目は、それでは地球時代と言った時に視点をどこに持つか。これは私が尊敬している一人であります、トロント大学のグローバルエデュケーションのセルビーさんが言っていることです。地球時代という時代に人はどういうものと関わって生きていかなければいけないか。一つは空間の次元です。つまり教室の中というより地域、地域というよりも日本、日本というよりも世界というものと関わるという意識でこれからは生きていかなければならない。それから時間の次元。過去と現在と未来を見据える視点を持った人間創りをしていかなければいけない。三つ目に問題の次元。世界のさまざまな地球環境問題というのは、私達の生活と結びついているのだという意識をどう持たせるかということ。それから、ど真ん中、内部の次元。自分自身をどう高めていくか。私はこれからの学びというのは、個人空間の中心点を強くすることによって外側に広がる力を大きくし、その面積を広げさせる。このようなことを意識した学びを作っていくべきだろうと思います。
 最近、感銘を受けた本が何冊かありますが、その中にボルノーが書いている本があります。彼が何と言っているかというと、人間が健全に成長するためには三つの時間が必要だと。一つは、大学受験とか人間がかかえている問題解決の時間。二つ目は興味関心に向かって無我夢中で取り組む時間。遊びの時間もそうだし、友達との共同研究の時間もそうです。三つ目が非常に興味深いのですが、思いをめぐらす時間だと言っています。森の中を散策した時に私どもは何かを思い浮かべます。私は今日、東門からずっと我が母校、学芸大の校舎を巡りながらいろんなことを思いました。私達の教え子達の中に、この思いを巡らす時間が保証されているでしょうか。高校で教師をしているときでしたが、レポートを高校二年生に書かせた時に、私は必ず1時間は図書館で自由にさせます。私は端に座っていて質問があったら聞いていいよと言います。と同時にどこに行ってもいいよ、どの先生に聞いてもいいよと言います。つまり子ども達がイメージを作る時間を大事にする。その時に大事なことはモデリングです。真似るということです。彼らのレポートはすごい作品になったのです。なぜか。真似たからです。私が過去7年間やってきたレポートを図書館の机の上に広げて自由に見ていいよと言ったからです。教師が指導するよりも子どもが先輩のものを真似ることは大事なことです。スピーチについてもそうだしディスカッションについてもそうです。「学びは真似び」真似るということがもっとあっていい。特に総合的な学習の中ではあっていいと思います。さっき私は要約、自己再組織化、多様な表現と言いました。実は自己再組織化から多様な表現の間に大事なことは創出ということです。創造して創りだすということです。表現がないから、顔がないから、日本人は、コンクリートマンなどと言われています。これを打破するためには皆がなるほどと思う、耳を傾けさせる何かを提言する力が大切です。そのためには提言する喜びを感じるような教育をしなければならないと思います。自分達が社会の一員として世の中を変える力があるのだということを自覚させるような実践というのが欧米ではたくさん行われていますが、日本は少ない。そういう実践をさせることが社会を変革する力ということになるのです。

関わりにおいて
「モノローグ」から「ダイアローグ」へ

舞台 それから、関わりということについて、時間がございませんので一言だけ言っておきます。モノローグからダイアローグへということを考えております。私は話す、聞く、話し合う、書くというようなこと、地球時代の言語表現というのを専門にしています。ダイアローグとモノローグの違いとはいろんな人がいろんなことを言っていますが、簡単に言うと聞き手を意識するかどうかだと思います。聞いている人が「うん」と頷いてくれたり反応があれば、しゃべっている人には力になります。そういう意味ではダイアローグというのは、聞くということが基本です。逆に言えば聞いているときにはぼけっと聞いていないで次に意見を言う準備をするのです。自己再組織化です。例えば、小学生だったら、そのことについて一行でもいいから意見を書きなさいと言ったりします。そんな小さなことが、自己再組織化ということを小学校レベルで具現化するのです。高校であればそのことをどう思うか、ディベートしてもディスカッションしてもいいのです。相手の意見をどう受けとめるか、相手に自分の意見を通すためにどうリサーチワークするか、この場面ではどうしたらいいか、頭の中をフル回転させて話し合うのです。そういう意味で、ダイアローグ的なコミュニケーション力、対話力というものが実は総合的学習にしても、さまざまな学習のペースになる。このような力を子ども達につけたいというふうに思っております。

ここで問題になるのが基礎・基本

 ここで大きな問題になることは、教科学習をいいかげんにしていいのか。基礎・基本の問題ですね。少しイントロとして話します。例えば、教養観、人は教養があると言いますが、教養とは何だろうと思います。私が中高の国際教育部長というのをやっていた時に、外国からお客さんがたくさん来ました。英語の先生でも、外国の人とうまくいかないのですよ。お迎えする会があってもほとんど黙っています。私は自慢ではないですが英語はほとんどダメです。カナダに1年間いましたけれども。でも、うまくいくのです。私はお金をかけるというのではなく、偉い人が来ても新宿に連れて行って「フォロー ミー」と、あの満員電車に乗ってみせるからついて来いと言うのです。駆け出していくと、あのものすごい太った人が一生懸命駆けてきて乗って「本当の日本がわかったよ」と言うのです。つまり人間同士として気持ちを通じ合うというのはどういうことかということを基調にして人と関わる力が大事であり、教養とは何かといった時に、そういう人達から何かを訊かれた時にイエス、ノーをきちんと言えるということだと思います。先生方失礼ですが、学生にやるようにちょっとやってみます。ワールドカップで日本は一次予選を突破できるかどうか。手など挙げなくてけっこうですので頭の中で考えてみてください。考えましたね。はい、理由を考えてください。私は学生にそう言います。はい、けっこうです。学生達にこういうトレーニングをするとイエス、ノーがぱっと出て、それだけではなく、それに対して、何故かを言う力が少しずつ育ってきます。こういう力を教養というのです。瞬時に自分の考えがまとめられて、論理的に相手を説得できる力のある人を教養人というふうに思います。頭脳が明晰とは何でしょうか。知識を持っていることでしょうか。私はそうは思わない。やはりいろんな条件の中で自己再組織化して、そして新しいものを生み出す力を持っている人を私は頭脳が明晰だというふうに思いたい。私自身はダメですが、そう思います。しかし、それを求めた授業だけがそうではないですよね。やはり、読み書きそろばんだって大事です。そこで、図をお見せしますが、これは、下が総合の森という総合的学習を絵で表しています。上がこれまでの学校教育、これは量が多すぎて食べ過ぎたので子どもが泣いている。総合の森というのは量を少なくした分だけいろんな木に登る力がある。環境の木、情報の木。木に登るとお腹が減るから教科の食べものを食べる。食べると元気になるから木に登る。つまり相互補完的だというふうに思います。次の図です。これは、申し上げたような地球時代に必要な資質、能力というのは外円の外に位置づけました。中の円には読み書きそろばんを位置づけました。それを支えるものとして一番下の方、共生概念とか学びの共同体とか、学びの基本機能のスキルというのが必要だろう。実は内円と外円は点線で結びついています。つまり内側と外側は絶えず行き来するものであって、相対するものではないという考え方です。
多田孝志 これからの学びで重要なことは、学ぶ子ども達が考える力を持ちなさいと言いました。それを具体的に言うと、例えば総合的学習ということでいうと、私は今の総合的学習の実態というのは、ともするとやらせればいいというふうになってはいないか。私は IPOSC というのを主張しております。Iはイメージを作ることでありアイデンティティを作ることであります。最後のCは相互啓発のことです。つまりもっと具体的に言うと、子ども達が発表しておしまいではない。発表したことについて、お互いにディスカッションするような学びというのが必要だということを申し上げておきたい。

再度、教師はどうあるべきか

 最後に教師はどうあるべきか。やはり一点目は最初に申し上げたように企画し、構想し、実行する力、まさにプランナーとしての教師、この教師の力が必要です。次に、子どもに寄り添い支援する、当たり前のことですけれども、その時に、ただ同情したり励ますだけではダメだと思います。この時に必要なのは、今どこの段階にいて何をやればいいかということを含めて支援することだと私は思っています。それから自ら学ぶ教師です。やはり先生達は本をたくさん読んで、校長先生に学び先輩に学び、いろんなことを学んだほうがいいと思います。私自身はよき先輩に会いました。「井戸端から炉端へ」と自分では言っているのですが、人の悪口を言う井戸端会議ではなくて、炉端でいい人と話そう。そういう炉端的な話し合いをもっとして、いろいろ啓発されたらいいと思います。最近は先輩が遠慮されてなかなかうまく後輩を指導しないですね。でも、もっと話さなければいけないと思います。そういう意味でいろいろと勉強されることを薦めたいと思います。
 最後ですが、恩師の大野雅敏先生は、上越教育大学の副学長までされた、おっかない先生でありました。でも私はすごく好きだった。彼が言ったのは知識人教師たれということです。これからは体験だけを語るのではない、理論だけを得意そうに言うのではない、理論と実践を共にわかる教師が未来を切り開くのだと、私が大学院を卒業する時に先生はおっしゃいました。私は愚直なほどそれを実行してきました。私は、私の中で理屈だけでなく、理屈があったらそれをどうやったら、小学校一年生の子ができるだろうということを追い求めてきたつもりであります。大学に行っても、大学も実践の場だと思っております。あの太陽の神アポロンみたいにすごい髪のヤツがいる、彼らだってと思いながら実践をしています。申し上げたように、私は実践の時代が来ると思います。教育に関わるあらゆる仕事の中で資料を集めて分析するというのも大事です。論を組み立てるというのも大事です。でも教育と名がつく中で最も大事なことは事実として目の前の子どもを変えていく力です。そういう職としての教育実践者こそ教育に関わる人間の中で最も尊い仕事をしていると思います。今日は大先輩がたの前で気後れしたと言いながら精一杯自分の思いを述べさせていただきました。チャンスを与えていただいたことを深く感謝申し上げます。どうもありがとうございました。

多田孝志先生のプロフィール

東京学芸大学卒業後、上智大学大学院教育経営コース修了。
東京の小学校に勤務、その後クエートの日本人学校、ブラジルの補習授業校に派遣される。
帰国後、目白学園中学校、高等学校に勤務。
現 在 
目白大学経営学部教授
帝塚山学院大学客員教授
日本国際理解教育会副会長 など
主な著書
「ユニセフによる地球学習の手引き」(教育出版)
「学校における国際理解教育 グローバルマインドを育てる」(東洋館出版)
「地球時代の教育とは」(岩波書店)など

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